早稲田大学本庄高等学院長 兼築信行
KANECHIKU Nobuyuki
(早稲田大学文学学術院教授)
早稲田大学の前身たる東京専門学校は、1882年、乱暴に言えば東京大学の反体制派学生のために作られた。その経緯を知るには、高島俊男著『天下之記者』(文春新書)を読むのがよい。かつて早稲田の性格を表す言葉に「在野精神」があったが、出身者たちがジャーナリズムの世界で活躍した理由も、この本を読めばよく分かる。ぜひ一読を薦めたい。
ところが、昨今の大学のスローガンは、「グローバル・リーダー/グローバル人材の育成」だ。それを実現するための将来計画「Waseda Vision150」が策定され、事はその方向へ動きつつある。将来の早稲田像は、今までとは全く面目を一新したものとなることだろう。
さて、その早稲田には、大学名を冠する附属(学校法人内)中等教育校が2つだけ存在する。東京都練馬区上石神井にある高等学院(男子校)と、埼玉県本庄市にある本庄高等学院(共学校)。旧制以来の長い伝統を重ね、中学部を併設(2010年)した前者に対して、本庄は大学が創立百周年を迎えた1982年に男子校として創設され、2007年に男女共学化した。当初から共学とする案もあったらしいが、現在ではよい意味で差別化がはかられ、大学のコアとなる人材を育成すべく、それぞれ特色ある教育が展開されている。
本庄のユニークさは、何といってもまずその立地であろう。東京からは約80㎞離れ、約86万㎡の広大なキャンパスは、おおかたの学院生にとって通学に便利と言うわけにはいかない。しかし、石器時代から人間が生活し続けた重層する遺跡群の上にたち、大久保山の自然に抱かれた環境は、一介の高校としては規格外。大学ではどのみちurbanな生活を送ることになる。であるならば高校生時代、countryを満喫しておくのも悪くない。
卒業生全員が原則として早稲田大学の各学部学科へ進学する本学院のスローガンは「自ら学び、自ら問う」。自分で自分を律していくことが強く求められる。だから制服もなければ、校則めいたものも無い。キャンパスには新幹線の本庄早稲田駅が接し、JR本庄駅の前には男女生徒寮「早苗寮」がたつ。関東圏ならびにその周辺からの広域にわたる通学生、全国および世界各地からやって来た寮生が、各自の多様性そのままに高校生ライフを満喫しているというのが、早稲田大学本庄高等学院の姿である。誰も彼もが心底「早稲田大好き!」で、応援歌「紺碧の空」を飛び跳ねながら唄い出す学院生たちが、ここには集っている。
2014年4月 記