沖縄の海も空もそれなりに美しく,砂浜でバナナボートに乗ったり,ジンベイザメと睨めっこをしたりと,満足のいく修学旅行だった。が,私たちも楽しみにしていたし,学院生にも見て欲しかった沖縄の圧倒的輝度の海,水平線,カヌーでマングローブの奥まで漕ぎ入る探検,水牛車遊覧など見ることができず,体験できなかった。台風の接近で波が6mほどになっていたため,西表島へ船で渡ることをあきらめ石垣島巡りをした。
修学旅行のもう一つの目的,「沖縄と戦争,戦後を知る」については,予定通りで,めいめいの学院生が見て,聴いて,肌で感じて,考えてくれたように思う。
まず,首里城公園を見学し,その晩,大西正子(おおにしまさこ)さんより,ナマナマしい戦争の体験をうかがい,いろいろ考えて頭の整理ができないうちに,次の日,ひめゆり平和祈念資料館で花を手向け,沖縄県平和祈念資料館に移動して,多くの方々が眠る平和の礎を訪ねた。首里城公園でも日本軍の本部が設けられたガマ(鍾乳洞の穴)の入り口を見ることができたが,それよりもだいぶ重い写真などの資料を見て,学院生も真剣に見入っていた。
(沖縄県平和祈念資料館前にて)
その後,おきなわワールド,城跡などを見学するうち,学院生らしい,いい意味でおばかな連中が動きだし,その日のライブ&夕食では沖縄民謡を聞いて大盛り上がり,アンコールの手拍子でホテルに戻った。
3日目は天気もよく,バナナボートに乗る予定で日焼け止めをたっぷり塗り出陣。完全に行楽モード(写真参照)。その後も暑い中サトウキビの収穫,シーサーつくり,サーターアンダギー・ムーチーつくり,ジンベイザメの美ら海水族館,American Villageと盛りだくさんで,3日目が一番楽しかったという学院生もいた。
4日目から雲行きが怪しくなり,JTBのスタッフと天気図をながめながら予定を考えなくてはならない状況となった。4日目に石垣島に行かずさっさと帰る案も現実味をおびてきた。そんな台風の風になってきたのである。しかし,4日で帰るのはかわいそうという訳で,安全の範囲で行けるところまで行くことにした。
石垣は,沖縄本島より400 kmほど離れているので気候が若干異なる。我々が着いてからは雲におおわれてはいるものの,時おり強い日差しが漏れ,風も心地よいものであった。石垣島に隣接する竹富島では自転車で島をまわることができた。海岸はまろやかな青と星の砂,ゆっくりとした風であった。沖縄本島よりもさらに美しく驚いた。
5日目からは,予定がほとんど変更となり基本的に動きがとれなくなってしまった。ホテルはグレードの高いもので快適であったが,プールや大浴場で過ごしたり,卓球などで時間をつぶさなくてはならなかった。この間,JTBのスタッフにはいくつもの可能性を検討いただき,最善の行程を検討していただいた。考えうる事態に対応すべくフライト予約や延泊の場合のホテルなど,何度か取り直していただいた。その都度,俊敏に対応をしていただき,さすがJTBという感じであった。
6日目は,ともかく沖縄本島に行かなくてはならず,次の台風も迫っていた。
朝,石垣空港を飛び立つと意外に快適なフライトで,那覇空港で着陸態勢に入った。しかし,再び高度を上げ上空へ。「あれ,もしかして関空へ向かうのかな」(着陸が困難な場合は関空へ行く条件付きフライとであったので)と思いきや,そうではなくほんの小さな雨雲の切れ目を見つけて着陸するという。ここからが沖縄修学旅行のハイライトなわけであるが,長くなるので保護者の方はお子様に詳しく聞いてください。とにかく奇跡的に着陸,JTBが用意してくれた高級ホテルに到着,結婚式をしている中を学院生がぞろぞろ入っていった。
7日目に帰ってきました。学院長が迎えてくれましたが,大変有り難かったわけですが,見るなり明日からの授業のことが頭をよぎり,ズッシーンと肩が重くなった。ビタミンAの緩衝溶液を眼に潤ませて,ソファーに上向きに寝ました。
最後にJTBのスタッフには感謝に堪えません。本当にお世話になりました。さすが腐っても鯛,ごめんなさい間違えました,寄らば大樹,これもへんですか。有り難うございました。