萬夢志(まむし)の呟き

修学旅行をどうするのか?

投稿日:2013年11月01日

2012年度の修学旅行は、尖閣問題に端を発する混乱のため、北京コースがぎりぎりで中止となり、おおむね台湾コースへの変更で対応する結果となった。そして準備の都合上、本年度もこれを沖縄コースに替えての実施となった。北京コース再開の目途は、現時点でも立っていない。

本庄高等学院では第一回から、北京大学附属中学との交流を軸とした中国への修学旅行を継続してきた。日本のどの高校よりも早く中国へ行ったのが、本学院である。これは、早稲田大学が日本で最も「親中国的」な大学だという背景があったと考える。日清戦争後、大勢の留学生が大陸からやってきたが、早稲田大学は清国留学生部を設置して対応した。その中から、李大釗、陳独秀という中国共産党を創立する革命家も出た。来日する中国の国家指導者がしばしば早稲田を訪れるのも、こうした歴史的経緯が存在する。

2007年の共学化によって生徒数が増え、修学旅行のコースも北京・韓国・台湾と分散されることとなった。もちろん時間や費用の問題もあろうが、近隣アジア諸国の中での日本の立ち位置をまず考えるという理念が、一貫されていると理解する。

さて、如上の経緯から、北京への修学旅行は重要だと考えるが、昨今はpn2.5など、環境問題に懸念も生じてきた。生徒の安全を第一に考える保護者のご理解を得ることも難しくなってきたように思う。また、10月初旬は国慶節の前後に当たり、この時期の中国旅行も年々困難となっている。ラグビー部の諸君が、試合の関係から事実上修学旅行に参加できないというのも、実にゆゆしき問題である。

こうなればもっと大胆に、発想を転換すべきではないか。本庄高等学院では2年から3年へはクラス替えが行われない。担任も原則そのままである。であるならば、例えば3月末から4月初めにかけての、学年をまたいでの修学旅行というのも可能ではないのか? この時期ならばラグビー部にも支障はあるまいし、中国・韓国・台湾の高校の学期とも抵触しまい。

上石神井の高等学院では、修学旅行は行われない。かつては実施されていたが、ある事件のため中止となり、再開されないまま現在に至っている。生徒数も異なり、中学部も併設されて、本庄とは状況が異なるが、過日、上石神井の山西廣司学院長に「本庄ではまだ、修学旅行などという時代遅れをやっているの?」と嗤われた。

修学旅行は本当に「時代遅れ」なのか?要は理念と、教育効果の問題だろう。何のために本庄高等学院は修学旅行を行うのか?それは決してアプリオリなことではあるまい。生徒、教職員、保護者そして大学が、今こそ真剣に議論すべき問題ではないだろうか。

学院長 兼築信行

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